令和4年度 各県支部 語り継ぐ集い開催のご報告
令和4年9月25日 愛媛県支部 語り継ぐ集い開催のご報告
9月25日 愛媛県支部 語り継ぐ集い
語り継ぐ集いの様子
シベリア抑留遺児の夫(故)、の妻、近藤公子さんは「白いおにぎり」と題して、満州ハルピンから引揚げてきた体験を語りました。
満州鉄道に勤めながら、造り酒屋も営んでいた近藤さん一家は、財産全てを中国人に譲りました。家はソ連側にとられました。
ソ連兵が襲ってきて金目の物を出すよう言われましたが、何もないというと、公子さんを負んぶしていた伯父の顔を銃で殴り、銃を天井に向けてバン!バン!打ち込みました。その時の恐怖は今も忘れられないそうです。
帰還船の中で演芸会あり、4歳の公子さんは皆の前で踊りました。何を踊ったかは記憶にないが、ご褒美にもらった、おおきな「白いおにぎり」が、忘れられない嬉しい記憶になりました。
全財産を譲った中国人が大金をくれました。いつ襲われるかわからないソ連兵におびえながらも、そのお金で歩くのをぐずる公子さんを中国人におぶってもらったこと、また、その大金が道中の糧となり命が助かったこと等など。記憶も定かではなかった公子さんでしたが、「戦争は絶対にしてはいけない」と、引揚げの時の詳しい話をしてくれていた叔母が亡くなったことで、語り継ぐという自分の役割を強く感じたと語られました。
藤原茂様は、入隊の時持参した「万葉秀歌」と「防人の歌」(大化の改新の後、九州沿岸の守りについた防人が詠んだ歌)で、軍人と和歌のつながりについて語りました。
松田修様は、終戦の3日後に満州奉天で生まれました。父博様は終戦の年の5月に応召、終戦後は抑留地で戦病死されました。引き揚げで長男(10歳)は不発弾破裂で事故死、長女(9歳)は栄養失調で死亡。
1946年9月に佐世保についてからも苦労されたお母様について「母を想う」と題し語られました。
それぞれにつらい思いを語って頂きありがとうございました。
このお話を決して無駄にしてはならないと強く感じました。